『膝枕』

 膝を貸せ、と唐突にそうのたまった男が自分の膝で昼寝をしているのを見てネルは溜息をついた。今日は天気が良く、時折吹く風も爽やかだから、昼寝をしたくなるのも分かる。だが、何故この男は、わざわざ元敵である自分の膝の上で寝ているのだろうか。

 別にこの男がベッドだろうが道端だろうが、どこで転がっていようと一向に構わないが、自分の膝の上では話が別である。恋人どころか、今は仲間として行動しているとはいえ、元は敵同士の間である。そんな男の為に膝など貸してやる気などあるはずもなく、膝を貸せと言われた時には当然断るつもりだったのだ。

 ―何を馬鹿な事を言っているのか、この男は

 呆れてそんな事を考えていた為か、すぐに返事が出来ずにいたのがいけなかった。その一瞬の隙に、男はネルの返事を聞かずにさっさと横になってしまったのである。そもそも言葉が命令形だったあたり、返事など聞く気も無かったのかもしれない。

 まったく、何様のつもりなのだろう。あれからもう半刻ほど経ってしまった。このままこの場所に拘束されるのも腹立たしいので、いっその事この男の頭を膝から突き落としてやろうか、など考えてみる。…考えてみるのだが、何故か実行に移せない。非常に不本意極まりないのだが、こうして真上から男の寝顔を見ているのはまんざらではないのだ。安らかとは言い難いが、普段と比べれば幾分柔らかなその表情は見ていて不快なものではない。

「なんなんだい、まったく……」

 ネルはそう呟くと、今日何度目になるか分からない溜息をついたのである。



『律儀』

「やっとお目覚めかい」

 目覚めて一番初めに見たものは、ネルの呆れと困惑と何かが混ざったような表情だった。寝起きではっきりしない頭のまま、ぼんやりとそれを見ているとネルは溜息をひとつ落とし言葉を続けた。

「まったく、どれだけ寝れば気が済むんだいアンタは」
「……あ?」

 視線をずらして空を見ると、高い位置にあったはずの太陽が随分と傾いていた。思ったより長く寝ていたらしく体が少し強張っている。ベンチで寝たのが良くなかったか。そんな事を考えていたら、突然ピシャリと額を叩かれた。

「いい加減どきな」

 そう言われて自分がネルの膝に頭を乗せた格好でいたことに気付く。のろのろと起き上がって伸びをすると関節が音を立てた。それから一つ欠伸をした所でようやく目が覚めたような気がする。

「アンタねぇ、勝手に人の膝を借りておいて礼のひとつも無いのかい」
「フン、ご苦労……これで満足か」
「……もう良いよ」

 緩く頭を振りながら溜息をつくネルを横目に、そろそろ宿屋へ戻った方が良いかと思い立ち上がり歩き出す。だが、ネルがベンチに座ったまま動く気配を見せないので不審に思い声をかける。

「テメェは宿屋に戻らねぇのか」
「……私は後から行くよ」

 返事に微妙な間があるのが気にかかり、ネルの顔を見ると眼を伏せ眉間に皺を寄せて、何かに耐えるような表情をしていた。しばらく考え、ある事に思い当たる。

「足でも痺れたか」
「そんな事無いよ、アンタの思い違いじゃないかい」

ネルはこちらを見ない。あくまでしらを切るつもりらしい。

「フン、ならこうしても平気だな」

 ごく軽くネルの足を蹴る。その瞬間、ネルが息を詰めた。そうとう痺れていたらしい。痛みに耐えるように肩を震わせているネルを見て、正直呆れてしまった。そもそも、無理やり膝を借りたのだから、起きるまで待たずにさっさと置いていけば良かったのだ。アルベル自身もそのつもりだったのに、律儀というか何と言うか。

「テメェは阿呆だな」
「…っ、元はと言えば誰のせいだと思っているんだい!?」

 相変わらず眉間に皺を寄せたまま搾り出すように声を上げるネルを見て、さて、どうするものかと考えた。



『ベクトル』

「なぁ、アルベル」
「………何だ」
「憎しみってさ、感情の方向性が違うだけで、相手を強く思う事は”好き”とか”愛しい”と同じだと思わないかい?」
「…何が言いてぇ」
「あれ、分からない?」
「チッ、分かるかよ!俺は寝る。夕飯まで起こすんじゃねぇぞ」
「あ、アルベル…って行っちゃったか」


「だから…さ、お前がネルさんに憎まれようとしてるのを見ると”愛して欲しい”って必死になってるみたいに見えるんだよ」